考え方と歴史

神仏習合について③

こんにちわ!ゆーすけです。(@jinja_hyakka

神仏習合の過程は、下記の4段階に分けることができます。前回は怨霊信仰について説明しました。今回は、「3.穢れ回避の浄土信仰」、「4.密教による本地垂迹説」について説明します。

  1. 神宮寺の出現
  2. 怨霊信仰
  3. 穢れ回避の浄土信仰
  4. 密教による本地垂迹説

穢れ回避と本地垂迹説

神仏習合の第三段階として、日本人の死生観が仏教と習合します。スピリチュアル的に死生観について話し始めると、ものすごく莫大な量になるので、ここでは黄泉の国と極楽浄土に限定します。十王経などの地獄などは省略です。

禊(みそぎ)は、黄泉の国を訪問後、身体が穢れたイザナギが行ったことで有名です。この禊は、古来から穢れを祓う宗教的儀式になっています。

平安時代になると、禊祓いを中心とした穢れ忌避より、物忌みが優先して行われるように変わりました。穢れは、人に付着する物だから、祓いでは充分に排除できず、完全に穢れを排除するには、時間をかけて穢れが消滅したほうが合理的だと考えられたからです。

でも、どうして穢れ忌避が、これほど重要だったのでしょうか。

密教は、天皇をも相対化し見下してしまう性質がありました。天皇や貴族たちにとって、密教による権力相対化に対抗する手段は、穢れをなくし「自分たちは神々に近い清浄な世界に住む」と主張する事でした。穢れ忌避は権力保持に欠かせなかったのです。

奈良時代以降、貴族たちは死後に穢れた世界である黄泉の国に行くことを恐れました。古代日本では、死ぬと常世国に行くと信じられていました。古事記に記された根の国のような場所です。その後、色々な死後の世界観が発生し、また大陸からも新しい死後観が渡来しました。こうして必ず常世国に行けると思っていた古代人とは異なり、奈良時代以降の人々は死後の世界に対し不安を抱くようになったのです。

日本の常世国は、仏教の浄土信仰とよく似た性質があります。インド仏教の本質が理解できなくても、浄土信仰は理解できたので、浄土信仰が広がりました。

浄土信仰は仏教の中心的な教えではなく、中東のキリスト教メシア論や拝火教、ゾロアスター教の影響を受けた仏教の単なる一部にすぎません。また、輪廻やカルマからの解脱を説くインド仏教は、個人主義の上に成り立っています。地域共同体を形成していた日本人には理解し難かったのです。

熊野地域や山の山頂、海にある離島などは常世国への入り口と見なされていましたが、浄土信仰の普及により、浄土への入り口に代わっていきました。これが神仏習合の第三段階で、神道と仏教の死生観が習合したのです。

本地垂迹説

鎮護国家思想では、国内が安定してくると、仏様の役割は人々を見守ることになり、日本の神様の役割と同じになりました。日本人を守る神様は、世界中を見守る仏様が、日本に仮に現れた権現(ごんげん)とされ、これを基に神社と寺院の交流が盛んになっていきました。

奈良仏教衰退以降は、密教と神道が交流し、この交流により、現れてきたのが本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)です。

本地垂迹説とは、日本の神々は、仏教の様々な仏様が姿を変え、日本に現れた権現とする考え方です。権現として現れた日本の神様を垂迹神というのに対し、姿を変える前の仏教の神様を本地仏(ほんじぶつ)と言います。

また、密教の真言宗を基に形成された本地垂迹説を両部神道、天台宗を基にしたものを山王神道、(日蓮宗を基にしたものを法華神道)と言います。

日本の神様の本地仏は、寺院や神社によって異なります。春日大社を例に垂迹神と本事仏を見てみましょう。

春日大社は4社の本殿があり、タケミカヅチ、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ)が祀られています。これらの神様の本地仏は下表のようになり、これらの神様を合わせて春日権現と呼んでいます。

垂迹神 本地仏
タケミカヅチ 不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)
経津主神 薬師如来
天児屋命 地蔵菩薩
比売神 十一面観音

 

摂社や末社にも本地仏がいて、下記のようになっています。

 

摂社、末社 祭神 本地仏
若宮神社 天押雲根命 若宮神社
三十八所神社 イザナギ

イザナミ

神武天皇

薬師如来

千手観音

弥勒菩薩

榎本神社 猿田彦大神 毘沙門天
紀伊神社 五十猛命(いたけるのみこと)

大屋津姫命(おおやつひめのみこと)

抓津姫命(つまつひめのみこと)

虚空蔵菩薩

一言主神社 一言主(ひとことぬし) 不動明王
祓戸神社 瀬織津姫(せおりつひめ) 阿弥陀如来

 

このように、有名な神様には本地仏が対応付けられました。

本地垂迹が、神仏習合の最終段階であり、これ以降、目立った神仏習合はありません。

神仏習合により、神社は仏教化され、本来の神道が無くなってしまったように見えます。本当に神道が無くなってしまった場合は、神仏習合とは言わず、仏教化したと表現します。仏教側から見ると、神道は滅亡し、神社は仏教の神を祀るようになったと思われるかもしれません。

神道側から見ると、神仏習合が進んでも、日本の神様は残っているので結構なのです。そもそも、仏教に神様は居ないわけで、マジカルな呪術を持って仏教の神々を祀る事自体、仏教の本質からかけ離れた仏教の神道化に他ならないのです。仏教の神道化、仏教の土着化とも言えるでしょう。

禅宗や念仏宗は、神の存在を否定しているので、あまり神仏習合の影響を受けていません。いずれ神道化されるのかもしれません。

まとめ

神仏習合には段階があります。下記の4段階です。

  1. 神宮寺の出現
  2. 怨霊信仰
  3. 穢れ回避の浄土信仰
  4. 密教による本地垂迹説

このような視点で神社・仏閣を見ると、どの時代にどのような信仰で建立されたのかがわかり、建立当時の人々の信仰やその後の歴史がわかりやすくなります。

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