神仏習合

神仏習合

あるアマチュアの仏教研究家が、「禅と浄土教で日本的な物はすべて説明できる。これらの仏教で説明できない物はあるか。」と言っていた話をしました。これは、本地垂迹説といい、日本に現れた神々は仏教(密教)の神々の化身という説です。これに対し逆本地垂迹説もありえるのです。たとえば、インドで成立した牛頭王思想や中国の妖狐思想は、日本に取り入れられたとき、それぞれスサノオや田の神と同一視されただけとも考えられます。仏教が大嫌いであった柳田国男からしてみたら、「仏教で説明できるものは、日本文化にあらず。」なのです。このような視点で見ると、円の思想、祖霊信仰、氏神(首長霊信仰)、常世神、神奈備などの思想の時代まで遡らないと真の日本文化や民俗学が見いだせないのです。つまり日本は歴史的に深い国なのです。

そもそも習合とは?

ヨーロッパには、もともとケルト人が住んでいました。このケルト人は、ケルト神話を持っていました。自然に対し畏敬の念を持つ意味で日本の古代神道と共通点が多いと言われています。ここにキリスト教が伝わりました。するとケルト神話の男神と天地創造の神が、女神と聖母マリアが習合したのです。ケルト人にとって、男神と女神が、天地創造の神と聖母マリアに対応すると考えないとキリスト教を理解できなかったのです。そして、このような同一視、すなわち習合があったので、またたく間にキリスト教がヨーロッパに広まったのです。

同様にインドで起きた仏教は、シルクロードを通り中国に伝えられました。細かいことを言うときりがありませんが、おおよそ中国人は道教や儒教に習合させて仏教を理解しました。このような仏教を格義仏教といいます。

上記の2例だけで気が付いたはずです。ある思想が他の地域や民族に伝わるときは、習合が起こるのです。だから、日本で神道と仏教が習合するのも、ごく当たり前の事なのです。空海が起こした真言密教と神道が習合し発生した両部神道や最澄(というよりも円仁、円珍)により起こした天台密教と神道が習合した山王神道も仏教伝来による産物と考えられるのです。

誤解されている神道

明治期の国家神道、戦後の象徴天皇制度により神道は、おもいっきり誤解されています。ちなみに右寄りの人によれば、「天皇制度」は左の思想家が勝手に命名した物であり、本来存在しないそうです。その右寄りの人が、古代神道についての概要を説明できるかといえば、これまた疑問なのです。おおよそ、国学者(本居宣長など)による適当な研究で形成されていった明治期の国家神道くらいしか出てこないのでしょう。

怨念を持って亡くなった人は、死後、常世の国などでこの世に災いをもたらすから、神として崇め、怨念をなだめれば平安がもたらされるとする怨霊信仰。変わった人が来たら、その人は常世国から形を変えて現れたのかもしれないとするマレビト信仰。これらは古事記(や日本書紀)を中心とする国家神道では説明がつきません。あたりまえですが…仏教でも説明がつきません。このように明治期の国家神道によって古代神道は誤解されているのです。古代神道を理解することが、豊かな日本人の感性や歴史に触れることができる道なのです。

ほかにもあるある神仏習合

神仏習合の例として、八幡神、アマテラス信仰、お稲荷さん、八坂神社を説明しましたが、ほかにも神仏習合はたくさんあります。七副神、脱衣婆や閻魔さまが居る地獄思想、天狗、山岳信仰などなど書ききれないほど例があります。今一度、身の回りにある神仏習合を見直してみてはいかがでしょうか。島国ならではの奥深い日本人の感性に触れることができるでしょう。

<まとめ>

神仏習合は、日本に仏教が伝来時、神道と仏教を同一視した現象です。いまでも神道が残っているということは、神道は仏教並みに日本人の心をとらえていたことを示します。また禅と浄土教だけでは説明のつかない神道オリジナルの思想もたくさんあります。また、ケルト神話のように他教(キリスト教)と習合後、忘れ去られました。だけど、神道は仏教と習合後、忘れ去られたわけではありません。大切に温存されたから、神道のシステムと仏教の影響力が拮抗していたからなど、仏教伝来後も神道が残った理由はたくさんあげられます。仏教伝来以前の神道や仏教伝来後の神仏習合、その後の変貌を見ていくと日本の深い歴史や文化に出会えるのです。

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トリー

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