考え方と歴史

松前健著「日本の神々」を読む・皇祖神論

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松前健著「日本の神々」を読む!今回は皇祖神論についてです。

戦前のタブー・アマテラス研究

戦後、日本神話研究ではアマテラスの起源が大きな課題になっています。アマテラスは皇祖神だったので、戦前は厳重なタブーとされてきました。

戦前であっても津田左右吉氏は厳しい当局の検閲を受けながらも、アマテラスの裔が日本を統治する政治理念に基づき、アマテラスを研究しました。

皇室の祖先として、6世紀頃の大和朝廷において机上で作成された架空の神で、民間信仰とは関係がなく、太陽崇拝の血であった伊勢と結びつけられ、崇神天皇・垂仁天皇の伊勢遷幸と遷座の伝説が作られたと主張し、伊勢神宮建設も最初の神代の述作以降の物であり、伊勢遷幸説話は、これを説明するためのものとしました。

伊勢遷幸説話は下記のようなものです。

『もともと、アマテラスは皇居内の天皇の傍に祀られていました。崇神天皇の御代に、国内に疫病が広がり、国土も人心も荒れ果て、天皇は天神地祇に祈りました。天皇は、皇居内のアマテラスを畏れ、皇居以外のふさわしい鎮座地を探すことにしました。皇女・豊鋤入姫命が奉斎となり、笠縫邑(かさぬいのむら)に奉遷しアマテラスを祀りました。

その後、丹波の吉佐宮(よさのみや)に遷幸し、4年間奉斎しました。さらにアマテラスの鎮座地を求め、大和、紀伊、吉備と遷幸しました。

その後、アマテラス遷座地探索の役は垂仁天皇の皇女・倭姫命に引き継がれ、さらなる鎮座地を求め、大和、伊賀、近江、美濃、鈴鹿を巡り、最終的に伊勢に至りました。倭姫命は「この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪よする国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむと欲ふ」とのアマテラスのご神託を受け、五十鈴川のほとりに伊勢神宮を創建しました。』

戦後、たくさんの批判研究が現れます。

丸山二郎氏は、伊勢神宮はもともと皇室と関係がない地方神であり、伊勢が大和朝廷東征の拠点となった事、大和から見て東の方向にあるので日の神の霊地と考えられていたことから、津田氏の説を発展させました。

直木孝次郎氏は、伊勢神宮に古くから日折内人、日折御巫という名前があることから、もともとアマテラスや太陽神を祀っていたものであり、壬申の乱以降、皇祖神となったと主張しました。

これ以降、上田正昭氏、筑紫申真氏、岡田精司氏などが自説を主張していきました。

岡正雄氏はアマテラスは本来の皇祖神ではないとしました。高天原はタカミムスビとアマテラスが首座を占めています。これは南方系の先住民が北方系の侵入民族に征服され、被征服民族の太陽女神・アマテラスと侵入種族の父系神・タカミムスビが混合したと主張したのです。が、文献を良く調べてみるとつじつまの合わないところが出てきました。

たとえば、アマテラスは被征服民の農耕系太陽神なら民衆がアマテラスを広く信仰しているはずなのに、アマテラスは皇族以外の者が信仰することが禁じられ、タカミムスビの方が畿内の氏族に広く信仰されているのです。

本来の皇祖神

三品彰夫氏は、天孫降臨神話の各異伝を整理し、日本書紀に書かれている、タミムスビだけが生まれたばかりの幼子ホノニニギを、真床追衾(まどこおぶすま)に包んで、群神も神器も伴わず、天降らせる伝承が最も素朴であると主張しました。

アマテラスが登場する神話になると諸神が登場し神器や神勅が現れます。アマテラスが登場する神話は五部神や神器、神勅が登場し最も発達した形となっています。

ちなみに五部神とは、ニニギが高天原から降臨する際に随従して降った5神を言います。

・中臣上祖天児屋命(なかとみのとおつおやあめのこやねのみこと)

・忌部上祖太玉命(いむべのとおつおやふとだまのみこと)

・女上祖天鈿女命(さるめのとおつおやあめのうずめのみこと)

・鏡作上祖石凝姥命(かがみつくりのとおつおやいしこりどめのみこと)

・玉作上祖玉屋命(たますりのとおつおやたまのやのみこと)

以上の五柱です。

タカミムスビは8神殿の中の一柱として宮中で祀られ皇室の守り神とされていたことは知られています。宮中8神殿の神は以下の通りです。

第一殿:神産日神/神皇産霊神(かみむすびのかみ)

第二殿:高御産日神/高皇産霊神(たかみむすびのかみ)

第三殿:玉積産日神/魂留産霊(たまつめむすびのかみ)霊魂を体につなぎとめる神

第四殿:生産日神/生産霊(いくむすびのかみ)人に活力を与える神

第五殿:足産日神/足産霊(たるむすびのかみ)霊魂を充足させる神

第六殿:大宮売神(おおみやのめのかみ)

第七殿:御食津神/御膳神(みけつかみ)

第八殿:事代主神(ことしろぬしのかみ)出雲の事代主とは別の神

松前健は、タカミムスビが皇祖神であり、8神殿の神が皇室固有の氏神・守護神で、その主神タカミムスビが大和朝廷の貴族が祀っていた生産の神、農耕神と推定しました。

第一殿から第五殿までムスビがつく神様の名前が並んでいますが、このムスビとは生成するという意味の「ムス」と神霊や太陽を表す「ヒ」との合成語です。タカミムスビは普通の男神であり、カミムスビは神産巣日御祖命と書かれるように母親を示す御祖が含まれ女神であることがわかります。タカミムスビとカミムスビこそが皇室の守り神なのです。

宮中のアマテラス崇拝

アマテラスの象徴である八咫鏡、それから草薙刀は伊勢神宮に納められましたが、その後忌部氏に新しく刀と鏡を作らせ、これをレガリアとしました。天皇即位のときの三種の神器はこの鏡と剣に勾玉を加えたものです。

そもそも鏡は朝鮮から伝わったものであり、神鏡がアマテラスと同一視されたのは平安時代になってからでした。また津田左右吉氏が主張では、伊勢の神体の鏡と天皇のレガリアとしての鏡は本来別物で、平安時代にアマテラスとして同一視されていったのです。

つまり宮中のアマテラス祭祀に固有な物はなく、平安時代に成立した物なのです。伝説通りに、宮中にあった神鏡を伊勢に移したのが史実なら、大嘗祭の悠紀・主基の二殿などは伊勢神宮のものと同じであってもいいはずなのですが、実際は全く異なったもので、使用方法も違うのです。

まとめ

もともと皇祖神は。タカミムスビとカミムスビでした。アマテラス神話は平安時代に形成されたものであり、これが古事記や日本書紀に反映されたのです。

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