朝廷による神社統制とアマテラス信仰

朝廷の神社統制

 

奈良時代、すでに国分寺・国分尼寺により、大和朝廷は全国を支配していたかのように見えます。日本史では、そんなことは全くありません。国司は、中央から派遣されただけで、地方ではまだまだ豪族の勢力の方が国司の力より上だったのです。国司は地方の豪族と朝廷との橋渡しをしていただけです。

 

皇室の首長霊である天照大神は、各豪族の首長霊より画が高いとする主張は、古くから受け入れられてきました。そして701年の大宝律令成立に至るまでに、「天皇は天照大神の子孫だから日本を納める資格を持つ」との思想に立ち、この思想に従い神社を統括する神祇官が国政を統轄する太政官の上に置かれました。

 

平安中期には、中央の二十二の神社と地方の各国ごとに鎮守(守り神)である神社、一宮が置かれ、これら二十二と一宮が特別に格の高い神社であるとしました。このようにして、朝廷を中心とした中央集権型の国家になっていきました。

 

伊勢神社の天照信仰

 

天照大神は本当に天皇の氏神だったのでしょうか。当たり前ですが、戦前は、このような事を議論するのはタブーでした。最近、様々な人がこのタブーの問題に取り組みました。松前健著「日本の神々」では、天皇の本当の氏神はタカミムスビであると書かれています。よく考えると、イザナギとイザナミが生んだ子供の一人が天皇の氏神というのもおかしいのです。天皇の氏神なら、古事記の最初に出てくるべきなのではと考えます。何故なら、タカミムスビを氏神とする豪族もいたはずです。氏神としては、アマテラスよりタカミムスビの方が上です。(オオヒルメムチからアマテラスへの変貌については、複雑なので省略します。興味のある人は、上田正昭著「日本神話」を読んでみてください。)

 

飛鳥時代の初期に、天照大神は太陽神として民衆から絶大な信仰を集めました。奈良から見ると太陽の出る方向にある伊勢では、特に厚く信仰されていました。そこで天皇家はこのアマテラス人気にあやかるため、氏神をタカミムスビからアマテラスに変更しました。こうして皇祖神天照大神が成立したわけです。

 

仏教が伝来し、寺院、ついで神社が建立されていったときに、格式の高い伊勢神社が建てられました。神仏習合の際には、密教の中心的な神である大日如来と天照大神は同一視され、さらに伊勢神社は有名で有力な神社になりました。

 

<まとめ>

朝廷は、寺院だけではなく神社を統制することにより、中央集権型の国家を形成していきました。この国家形成に民間信仰による民間からの支持が重要だったので、継体天皇は皇祖神を天照大神に変更しました。神仏習合では、天照大神は密教の中心的神である大日如来と同一視されました。

 

 

 

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トリー

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