考え方と歴史

松前健著「日本の神々」を読む・(1)スサノオと出雲神話

松前健が考えるスサノオ観

日本の神話学者により日本神話の分析が進んでいます。ここでは、分析された結果、見えてきたスサノオの本質について迫っていきます。

スサノオの性質

古事記に記載されているスサノオの行動を見てみましょう。

スサノオは、イザナキの子で、アマテラスやツクヨミと共に「三貴子」と呼ばれています。三貴子の中で、最も荒ぶる神様がスサノオでした。父イザナキは、スサノオに海原を任せますが、死んだ母親に会いたいと泣き叫いてばかりいました。あきれた父は、育て方を間違えたと後悔し、母のもとへ去るよう言いました。

スサノオは母のもとへ行く前に、姉のアマテラスへ挨拶しようと、高天原(天界)へ行きます。この時に、高天原の神々を困らせる事件を起こしてしまい、葦原中国(地上)へ追放されます。

高天原から追い出されたスサノオは、大蛇に命を狙われ、怯えている親子と遭遇します。この親子の話を聞いたスサノオは、大蛇退治の役目を買って出ました。大蛇は、頭が八つあるヤマタノオロチです。スサノオは見事に大蛇を退治しました。退治した大蛇の尻尾から三種の神器である「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」を手に入れ、大蛇の犠牲にされようとしたクシナダヒメを助けて結婚しました。

スサノオは、クシナダヒメをとても大切にしました。が、クシナダヒメは先に死んでしまいます。スサノオは、悲しみのあまり娘を連れ、支配した国をあっさりと捨て去ります。そして娘に一心の愛を注ぎ、それ故、娘に心を寄せるオオクニヌシに様々な試練を与えました。試練を耐え抜いたオオクニヌシを婿と認め、国づくりを命じ、娘を残し根の国に去って行きました。

これが古事記に見られるスサノオ神話の概要です。

大きくスサノオの性質を分けると、下記3種になります。

  1. 高天原で悪行をおこない追放された神様
  2. 出雲の国を中心とし大蛇退治するなどの英雄的な神様
  3. 根の国の王としての神様

国津神と天津神

天津神とは、天上を住処とする高天原の神々です。国津神とは、天津神に対する土地の神様で、広く諸国の山河に住みます。すべてが出雲の神様とは限らないのですが、記紀では出雲となんらかの関係があったり、出雲で活躍したりします。

大和国の御諸山に住む大物主、葛城の鴨のコトシロヌシやアヂスキタカヒコネは、大和地方の霊格で、諏訪のタケミナカタは信州の国津神でしたが、皆、出雲の神々とされ、国譲りでは大国主の眷属として活躍しています。

このように出雲系の多くの国津神は、天津神と対立関係にあり、後世には皇室に祟っています。この天津神と国津神の対立は、一方が出雲という特定の地域を根拠地としており、また出雲ではスサノオや大国主への崇拝が行われていたことから、善悪二元論では語れない複雑な歴史がこの物語の背景に存在しているものと思われます。

この説明として、天孫民族対出雲民族、大和系氏族連合対出雲系氏族連合、支配貴族対庶民などの様々な対立論が生まれました。だけど、古代出雲に政治や文化の中心があったという証拠は考古学的には全くありません。古墳文化も、畿内で発生し、これが出雲に伝わったと考えられています。

松前氏はこの対立を宗教的原因と考えています。7、8世紀に大きな勢いで全国に伝播・拡大していった出雲の巫覡たちの宗教活動、医療、託宣などによる布教による出雲信仰の拡大が国津神を形成したものと主張しています。

高天原でのスサノオ

スサノオは、記紀では高天原で暴行を働いたため追放され出雲に下ったとされています。大祓詞で天津罪として挙げられる多くの罪穢れは、すべてスサノオが犯したものです。

高天原では天界の秩序を破壊する魔的な存在であるのに対し、地上ではすこぶる平和的な英雄となっています。

このスサノオの豹変ぶりは、不思議に見えますが、もともとは異なった二神であったものが同一視され同じ神となったと見なせば、簡単に理解できます。一つは高天原の邪霊で大和の宮廷神話体系に記されていた神で、もう一つは出雲の文化的な神で出雲固有の伝承がもとになっています。

古代出雲を中心とした大きな宗教団体の影響が朝廷にとって好ましくない存在であり、出雲教の中心核であるスサノオを大きな存在として、そして天津神に敵対する存在として描き、その影響力を低下させようとしたわけです。

まとめ

古代出雲には大きな宗教団体があり、この勢力は朝廷にとって好ましくない存在でした。そこで、記紀においてスサノオを高天原では乱暴を働く存在として描き、地上では文化的な神としますが、国津神として天津神に敵対する存在としたわけです。

-考え方と歴史