弥生時代最大の勢力が大和朝廷になったと考えられています。この大和朝廷の出現により神道体系がどのようにかわったかを見ていきましょう。
祖霊信仰から首長霊信仰へ
現在、神道は首長霊信仰の形式をとっています。この制度は、古墳時代に確立されました。祖霊から小国を治める首長の氏神である首長霊に進化しました。首長霊(氏神)は、豪族を指導・保護し、豪族は民衆を支配します。
有名な豪族と氏神としては、物部氏の氏神がニギハヤヒであり、蘇我氏の氏神がソガツヒコノカミ、ソガツヒメノカミ、中臣氏(藤原氏)の氏神がアメノコヤネノミコトです。
特に豪族の中で最大の勢力を持っていた大和朝廷(大和国)は、中国の優れた政治システムを導入しようとしていました。優れた政治システムというのは、たとえば「律令制度」などです。だけど、大和国が律令制度を取り入れて、他の豪族にもこのシステムに従えと主張すると、戦国時代のように小国同士が争いになってしまいます。当時の大和国は、中国の皇帝のように国を統一したわけではないのです。
そこで大和国(大和朝廷)は、一計を案じました。大和朝廷の氏神である天照大神の子孫が他の豪族の氏神であり、日本国に住む豪族や民衆はすべて天照大神のもとでは、一つの大きな家族であると言い切りました。こうして、ほとんど武力衝突なく日本国は統一されたのです。そして、優れた中国の政治システムを取り入れていくことができたのです。また、より広い領土から選ばれたより優れた人物を朝廷の要職につけることによって、より優れた政治をおこなうことができました。
首長霊信仰を理解してくると、人々を束縛する教義がない神道が、古代から現代まで続いてきた理由がわかってきます。特別な時代を除いて、天皇が政治を直接行うことがいませんでした。政治は有能な人物に任せる、現在の「象徴天皇」に似ていたのです。武力と権威の分離も理解できます。天皇は、首長霊が最高なので、氏神を信仰している限り、誰も逆らえないのです。すなわち絶対権力を有しているのです。これに対し、武力を持った豪族は天皇から政治を任せられるという利権がでてきます。実に近代的な政治システムです。
古墳祭祀と三輪山大物主神神社
纒向遺跡の東の山は、「神の住む山」と言われた三輪山です。この山麓に大和朝廷が重んじた大物主神を祭る大神神社があります。この神社には、拝殿があるが御神体を納める本殿はありません。参拝者は三輪山を拝み、そこに住む神様に頭を下げるのです。この三輪山に習って人口の山を作り亡くなった大王の神を奉りました。このようにして古墳ができていきました。さらに、これを真似て地方でも古墳が作られるようになっていきました。
<まとめ>
精霊崇拝から祖霊信仰、祖霊信仰から首長霊信仰に変化させることにより、最も勢力が大きかった大和朝廷は日本国を統一することができました。さらに、権力と武力の分離という優れた政治システムが発生しました。加えて古墳文化も発生しました。