古事記3

出雲神話

天岩戸の一件で高天原を追放される事になった須佐之男命が降り立ったのは出雲国でした。肥河(ヒノカワ)の上流、鳥髪(トリカミ)という場所です。肥河とは今の斐伊川(ヒイカワ)のことで、川の源になる船通山(センツウザン)は、古来から「鳥上山(鳥髪山)」と呼ばれていました。現在の島根県の端、鳥取県との県境辺りです。

須佐之男命は川上から箸が流れてくるのを見て、住んでいる者があるに違いないと考え、探しに向かいます。そうして見付けたのが、泣き暮れる若い娘と老夫婦の姿でした。須佐之男命の問いかけに対して老爺は、自身は足名椎(アシナヅチ)、妻は手名椎(テナヅチ)、そして娘の名は櫛名田比売(クシナダヒメ)と答え、更に続く問いに答える形で泣いていた理由を説明します。

──そもそも夫婦の間には娘が八人いたのに、高志(コシ)の国から来た八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)に年ごとに食べられてしまった。そして、またその遠呂智がやって来る頃が近付いて来たので泣いていた。遠呂智の瞳は鬼灯の様に赤く、一つに身体に、八つの頭と八つの尾。身体からは檜や杉が生え、その長さは八つの谷と八つの峰に及び、腹の部分は常に血に赤く爛れている──

年ごとに現れる、八つの谷と峰に渡るほどの巨大な怪物。これを岩戸隠れの話と同様、自然現象と捉える説があります。この場合は水害をもたらす河川の氾濫のことで、更にその外見の説明として述べられている血に塗れた赤い腹については、斐伊川上流で行われていた製鉄が関わると言われています。

ただ一方で、遠呂智は高志の国から来るとあります。高志=越と思われ、現在の福井・石川・富山・新潟の四県の辺りのことです。これは越前・越中・越後という旧国名を考えると分かり易いでしょう(余談ですが、石川県の旧国名は加賀、能登で「越」の字が入っていませんが、これは両国が越前国から後で分離した為です)。
これは古い時代には中央政権と地方との対立があったことが想像できます。或いは政権の支配力が少しずつ北方に及んでいったことを示すものかも知れません。日本史の教科書を思い返してみるに、大化の改新後、蝦夷に備えるべく設けられた渟足柵は新潟県新潟市で、そこから徐々に柵は北上して作られていきます。また、『古事記』成立三年前、709年にも越後へ蝦夷征伐の兵が送られています。

さて、怪物の説明を聞いた須佐之男命は、夫婦に一つの提案をします。娘を自分に嫁がせないか──驚いた夫婦は「貴方のお名前も知らない」と返しますが、天照大御神の弟であると説明したことで、それならば、と了承を得る事になります。

そこからの須佐之男命の行動と指示はとても早いと言えます。先ず、櫛名田比売は櫛の姿を変えられ、須佐之男命の頭に飾られます。
その上で、夫婦に命じたのは「八塩折(ヤシオリ)の酒」を造ること、地に垣根を巡らし、そこに八つの門を設け、そこにそれぞれ造った酒を配すること、というものでした。「八塩折の酒」と言うのは、幾度も醸した、という意味です。

指示通りに準備をして待つ内に遠呂智が現れ、見事にそれぞれの頭が門を抜けて酒を飲み、やがては酔って眠ってしまいます。そこを須佐之男命は狙い、所持していた剣で切り刻んでいきます。流れる血によって川が真っ赤に染まって行く中、尾を刻んでいる時に持っていた剣が欠け、不審に思って尾を切り開くと、そこから太刀が一本現れたのでした。

先に説明されていた血まみれの腹部と同様に、赤に染まる川と尾から登場する剣は、上流で為された製鉄作業が関わっていると思われます。
剣を取り上げた須佐之男命は、珍しいものだと、それを姉である天照大御神に献上します。この剣こそが、後、天孫降臨の時に鏡や勾玉と共に、地上に降り、やがて倭建命が使う事になる、草那芸剣です。

こうして、無事に八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、約束通り櫛名田比売を娶り、宮殿を立てるに良い場所を探している内に、ある土地に辿り着きます。そこで「ここに来て私の気持ちはとても清々しい」と言った、その「すが」が地名の「須賀」となったと言われています。
この「発言が地名の由来」というのは後にも出てきます。

また、この時に詠んだ歌は古典の教科書に載っていることがあります。

──八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を──

雲が何重にも立ち上る、出雲の国に雲が立っている。妻が篭る宮殿を囲む八重垣のようだ──というような感じでしょうか。
この歌は五・七・五・七・七の作りから、日本初の和歌とも言われています。

最後に。この八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)について、『ドラえもん』の中で、のび太がこんなニュアンスの話をしています。

「頭が八つあるということは、股の部分は七つだ。だったらヤマタノオロチではなくて、ナナマタノオロチにすべきだ」

確かに足の間や指の間のことを「マタ」と言いますから、のび太の疑問は解ります。
一方で八つの頭と言うのが間違いで、九つが正解なのでは、と考えたくなる情報も存在します。越の国、今の福井県にはまさに“九頭竜川”という名の川が存在しているのです。内容こそ様々ではありますが、九頭竜の伝説は実は他の土地でも存在しています。

ですが、『古事記』そして『日本書紀』でも「ヤマタノオロチ」は八つの頭と八つの尾と確り記してあります。
色々な解釈が出来ると思います。単純に「八百万の神」の様に数が多い事を「八」を使って示すから、厳密な数字ではないという説もあります。また、頭が八つで「ヤマタ」と表現するのも決して間違いではありません。例えばY字路を説明する時には「道が二股に分かれている」と言います。胴体を起点にすれば、首が八つに分岐しているから「八俣」は間違いではないのです。

古事記4