古事記4

大国主神

出雲の地に須佐之男命が居を構えてから六代の後、誕生したのが大穴牟遅神(オオナムチノカミ)──後の大国主神(オオクニヌシノカミ)です(『日本書紀』では須佐之男命の息子とされています)。この大国主は異称を沢山持っており、大穴牟遅が大国主と名乗る様になるのは、彼が訳あって須佐之男命の許を訪れ、そこでの試練を乗り越えて再びその地を離れる──となった時の事です。

では、何故に須佐之男命の許に行かなければならなくなったのでしょうか。その理由は大穴牟遅神と、その兄弟神達の争いからでした。
「八十神(ヤソガミ)」と称される沢山の兄弟との諍いは、最終的には大国主の勝利となり、彼が出雲を治めることになるのですが、そこに至るまでに苦難の連続がありました。

先ず、その最初の登場シーンから、大穴牟遅は兄弟たちから虐げられていました。まるで従者の様な扱いで、大荷物を担ぎながら彼らに付いて歩いていたのです。

兄弟たちの目的地は稲羽(イナバ)の八上比売(ヤガミヒメ)の所で、彼らは比売に求婚する心積もりでした。稲羽とは即ち因幡で、現在の鳥取県の東部と言われ、明治期までは八上郡という比売の名に由来する地名も存在しています。島根の隣が鳥取ですから、地理上しっくり来るのですが、稲羽は稲の置き場という意味もあり、確定されるものでもない様です。

因幡の白兎

荷物を持たない身軽な兄弟たちが歩き行く内に、気多(ケタ)の前で皮を剥がれた兎が伏せっていました。それを見た兄弟神たちは、こんなアドバイスをします。

「海水を浴びて、吹く風に当たり、高い山の上で横になって居なさい」

気多の前、とは鳥取県の旧気多郡辺りの岬ではないかという説があります。“気多”という地名の由来についてははっきりしていません。ただ、気多という地名は意外に多く、例えば石川県には気多大社という神社があります。祀られているのは大己貴命(オオナムチノミコト)、即ち大国主で、此方の“気多”の由来には、因幡の気多の岬から大国主が来られたから、という説があります。

ところで、兎に向けられたアドバイスですが、決して正しいものではありません。寧ろ、皮を剥いだ後に塩水を被って放っておくのですから、荷物を担いで遅れて歩いていた大穴牟遅が見付けたのは、苦痛で泣いている兎の姿でした。
理由を尋ねる大穴牟遅に、兎は、そもそも何故に皮を剥がれていたかの説明から語り始めます。

「私は淤岐(オキ)の島に居て、こちらへ渡ろうと思ったのですが、その方法がありませんでした。そこで海の和邇(ワニ)を騙し、『私たちと貴方たち、どちらの数が多いかを調べましょう。この島から気多の前まで一列に並んで下さい。私はその上を跳んで走りながら数えます。それで数を比べる事ができます』と言ったのです。騙された和邇が並んだのを私は跳んで渡り、もう地に着くというところで『お前は私に騙されたのだ』と言ってしまいました。聞くや否や、最後に並んでいた和邇に即座に捕まえられ身ぐるみを剥がれてしまい、泣いていたところに、貴方の兄弟が通りかかり、『海水を浴びて風に吹かれると良い』と教えられたのです。その通りにしていたら傷付いてしまいました」

話に出てくる淤岐の島は、島根の沖合50kmほどの所にある隠岐の島とも、単純に沖合にある島とも取ることが出来ます。『古事記』の他の箇所では「隠岐」は「隠伎」と記されている事が、別の島ではないか、という説の根拠になっています。

また、和邇が何を指すかについても諸説あります。一つは「鮫」を示すというもので、理由としては山陰地方の方言で鮫のことを「ワニ」と呼んでいることが挙げられます。そしてもう一つは、名のままに「鰐」だとするもので、根拠の一つとして、平安時代に作られた辞書『和名類聚抄』では鰐について確り認識しており、「スッポンに似て、四足が有り、クチバシの長さが三尺、甚だ歯が鋭く、虎や大鹿が川を渡るとき之を攻撃」と解説していることが挙げられます。また、陸上の生き物が鰐を騙して水上を渡る説話はインドネシア等にも残っており、それが稲作などと共に日本に伝わってきたと考えることが出来ます。そのほか、和邇は海蛇のことだと論ずる説も存在します。

古代人が直に目にしたかはどうかはさておき、30~50万年前の昔のものとされる鰐の化石が日本で発見されています。1964年、大阪の待兼山で見つかったそれは、和名で「マチカネワニ」、学名は「Toyotamaphimeia machikanensis (トヨタマヒメイア・マチカネンシス)」と命名されました。この「トヨタマヒメ」とは『古事記』に出てくる「豊玉毘売」のことで、いわゆる海幸彦、山幸彦の物語に登場し、その正体は和邇であると記されています。
更に2013年、なんと隠岐の島でも鰐の化石が発見されました。これは更に古いもので2000万年前のものと言われています。

実在した鰐と、南方から伝播する説話とがダイレクトに結びついたかは定かではありませんし、鰐を知らない人々が、それを鮫に当てはめたのかも知れません。ただ、ここに登場する和邇は人々には未知の「ワニ」と捉えても良いような気がします。

とにもかくにも、経緯を兎から聞いた大穴牟遅神は、こう教えます。

「直ぐに水門に行って水で体を洗いなさい。そしてそこに生えている蒲(ガマ)の花粉を撒き、そこに転がれば治るでしょう」

この水は先刻の海水とは異なり、真水を指します。蒲は池沼などに生えている植物です。果たして、兎の体は元の通りに戻ったのでした。実際、漢方や生薬を纏めたものの中で「蒲黄(ホホウ)」は止血などに使われるとあります。
そして話を締め括る様にこう文言は続きます。──「これが稲羽の素菟です」。
一般に「因幡の白兎」と称されていますが、実は『古事記』上では「白」兎とは書かれていません。これは色と言うより何にも染まっていないという意味で捉えると分かり易いのかも知れません。ただ水を沸かしただけのものを「白湯・素湯(サユ)」と表現するような感じでしょうか。

そして、今は兎神と言われる、助けられた兎は、大穴牟遅にこう告げたのでした。
「八十神の兄弟たちは、八上比売と結婚することは出来ないでしょう。比売は貴方が娶ります」

予言は当たり、八上比売は兄弟神の求婚を退けて、大穴牟遅と結婚すると宣言するのでした。

ここで締め括れば「めでたし、めでたし」で真面目な青年が花嫁を得る話として成立します。実際、後に大穴牟遅は八上比売と結婚します……が、物語は、ここで終わりません。
この後、怒った兄弟神たちの残忍な仕打ちが始まり、大穴牟遅は言葉通り、死ぬような目に遭い続けます。最初に述べた須佐之男命の許を訪れるのも、未だ先の事です。その大国主を名乗るようになるまでには、まだまだ時間が掛かるのでした。

古事記5