仏教伝来後、大陸風建築様式の仏教寺院が建てられました。豪族の氏神を守る氏寺、奈良仏教の南都六宗の寺(いわゆる七大寺)、国分寺・国分尼寺の順に建っていきました。この寺院に対抗し、純和風建築様式の神社が建立されました。仏教伝来直後は、仏教理解が全くなされていませんでした。仏教が理解されるに従い、日本の神は、元々、仏教の神であったとする本地垂迹説を唱える人が出てきました。そして、神社の力を強める神宮寺が各地で建てられました。これが神仏習合の始まりです。
このように神仏習合は、神宮寺の出現により、(中央の朝廷からではなく)地方から始まりました。だけど、大陸や朝鮮半島に近い北九州では、若干、異なる現象がみられました。八幡神という独特の神が成立し、急激な勢いで発展し、中央に出現していきました。八幡神は、どちらかというと仏教的な神であり、常に神仏習合を先導し、朝廷の政治にも深くかかわっていきました。
宇佐御許山
現在の大分県宇佐市で八幡神は成立しました。この土地は、豪族宇佐氏による神奈備信仰が主流でした。妻垣山が神奈備山になっていました。宇佐氏の勢力拡大により、御許山が神奈備山に変わりました。そして、宇佐神話なるものが形成されます。御許山山頂には三個の巨石があり、これを天照大神の生んだ三女神が降臨したとする神話です。
新羅国神
朝鮮半島が近い九州北部では、渡来人が、大陸の進んだ技術・文化と共に、彼らの信仰をも伝えました。八幡宇佐宮御託宣集、三巻と五巻の「辛国(からくに)の城に、始て八流の幡(はた)と天降(あまくだ)って、吾は日本の神に成れり」という有名な一文に見られるように、八幡神が外来神であることを表しています。
渡来人の集団は、現在の福岡県香春岳の山麓を流れる金辺川周辺に居住しました。やがて、この集団の一部であった秦系渡来人の辛嶋氏の集団が宇佐に移住しました。そして、彼らの神が稲積山に降りたと考えました。
宇佐氏の衰退と大神氏
6世紀になると宇佐氏は衰退していき、代わりに中央から大神氏が来て、宇佐を支配し始めました。そして、大神氏は辛嶋氏を支配下に置きました。この時、辛嶋氏の得意な宗教基盤に、応神天皇の霊である応神霊を付与しました。こうして、八幡神が成立しました。やがて、大神・辛嶋両氏による祭祀が始まりました。
兵乱鎮圧の神
藤原広嗣の乱が起こった際、乱を鎮圧が八幡神に祈願されました。また、720年、大隅・日向の二国で反乱がおこりました。この乱を平定した公家が、宇佐宮(八幡神)に祈願しました。
これらを考えると、八幡神は氏神から仏教祭祀による兵乱鎮圧の神へと変わってきたのです。乱を鎮圧することにより護国をおこなう護国思想が芽生えてきたのです。
石清水八幡
徒然草第52段。仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
この徒然草の話で有名な石清水八幡は、大安寺(南都七大寺の1つ)の僧侶・行教が、太政大臣・藤原良房の命令により宇佐八幡に参拝し、幼い清和天皇の加護を祈ったところ、「われ深く汝の修繕に感応し、あへて亡忍せず。都に近く座を写し、国家を鎮護せん。汝祈り請うべし」と示しました。行教は石清水男山の峰を鎮座の場所としました。こうして朝廷は、宮と寺が一体になった宮寺である石清水八幡護国寺を創立しました。この創立の背後には、時の権力者・藤原良房、仏教界の重鎮の関与がありました。また、庶民からの信仰もあつかったので、伊勢神宮と肩を並べる存在になっていきました。
軍神八幡神
平安時代後半から鎌倉時代にかけて、八幡神は武士の神に成っていきました。八幡神は、武家を朝廷秩序から解放し、天照大神とは異なる世界を創っていきました。こうして武家が守護神として八幡神を奉じていきました。
源頼朝が鎌倉幕府を開くと、八幡神を鎌倉へ迎えて鶴岡八幡宮としました。御家人たちも守護神として領内に勧請しました。室町幕府は、歴代の武家政権のなかで最も熱心に八幡信仰を押し進めました。
<まとめ>
九州の氏神の一つと仏教的な渡来人の神が習合し、八幡神が成立しました。また、時の権力者・藤原良房と仏教界の重鎮により八幡紙は、石清水に勧請され、宮寺が建立されました。また、庶民の信仰もあつかったので、伊勢神宮とは別の世界を創っていきました。最初は、反乱を鎮める神でしたが、伊勢神宮とは異なったので、武士からの信仰がメインになっていきました。八幡神は、神仏習合を代表する神と言えるでしょう。