考え方と歴史

松前健著「日本の神々」を読む イザナギとイザナミ①

松前健について

世の中に日本神話の研究者はたくさんいます。純粋に日本神話を研究するのなら結構ですが、神道系宗教団体やウエツフミ、竹内文書などのシンパは、研究内容が偏っています。

津田左右吉によれば、本居宣長や平田篤胤など江戸時代の国学者は先入観が強く、上代を正確に解析しているとは言えません。

戦前の折口信夫などの文学者は、それなりに古事記や日本書紀を正確に解析していますが、国家神道体制下なので、皇祖神にはあまり触れていません。皇祖神の研究のような国家神道体制下でのタブーに触れ始めたのは戦後からになります。

戦後の神話研究者を挙げると、梅原猛や上田正昭、松前健などがあげられます。

本当は誰でもよいのですが、ここでは松前健(まつまえ たけし)の解釈に従い、現代の日本神話研究を見ていきます。

松前健氏は、1943年に國學院大學予科に入学後、学徒出陣します。戦後、國學院大學に復学し、折口信夫から民俗学などを学びました1956年、修士課程を修了後、大学非常勤講師をしながら、研究成果を発表していきます。

1960年、「日本神話の新研究」で文学博士号を取得。さらに日本宗教学会・姉崎正治賞を受賞し、現在も高く評価されています。

民俗学、文化人類学、歴史学など幅広い視点から、古代王権と神話との関わりを考察するただけにとどまらず、欧米の神話学の手法も採用した日本神話学研究の第一人者です。

日本の神々

2016年に発売された「日本の神々」(講談社学術文庫)は、研究論文ではないので根拠の提示がなく唐突な感じがしますが、最新の研究成果が要約されているので、おともお薦めです。

イザナキ・イザナミ、スサノオ、アマテラスについて詳細に知ることが出来ます。

この本を基にして日本神話を解説し、古代日本人の世界観に迫り、神社により親しんで頂こうと思います。

イザナギとイザナミ

古事記は、イザナギとイザナミにより日本列島が生み出されたと伝えています。神様が島を生むなどにわかには信じられないですね。どうして古事記には、このような説明がなされているのでしょうか。

この質問に答えるべく、イザナギとイザナミの分析がなされています。ここでは以下の順にイザナギ・イザナミの分析について説明します。詳しく知りたくなったら、是非、「日本の神々」を読んでみてください。

  • イザナギとイザナミは、もとは淡路島の神様
  • イザナギとイザナミの信仰圏
  • 古代熊野との関連
  • 黄泉の国について
  • 禊祓い神話
  • イザナギとイザナミは、天空神と地母神

イザナギとイザナミは海に関係する神様

古事記や日本書紀は、「帝紀」および「旧辞」という現存しない書物を平安時代の人が政治的意図をもって編集したものです。古事記は天皇の権威を日本国内に知らしめるため、日本書紀は国外に日本の歴史を知らしめるために編集されました。

だから、古事記や日本書紀をそのまま読んでいても、神様の本来の姿は浮かび上がってこないわけです。そこで、神話学者による分析が役に立つのです。

松前健は、イザナギとイザナミは淡路島の海人が祀っていた創造神であり、国生みは淡路島だけの小規模なものと分析しています。

日本書紀は、その編集にあたり、一書(あるふみ)という注釈が採用されています。これは、「古字が多くてわかりにくいため、さまざまな異伝が存在し、どれが正しい説なのか判別しがたい場合は、一つを選んで記し、それ以外の異伝は注釈(一書)として記せ」と命じられていたからです。

この日本書紀の一書で、イザナギの父としてアワナギがあげられています。古事記の中にもアワナギ、アワナミ、ツラナギ、ツラナミという神様の名前が記載されていることから、イザナギ、イザナミは、凪と波を表す海の霊格の可能性が大きいのです。

次に日本書紀・履中天皇には次の記事があります。天皇が淡路島で狩猟をしたところ、飼部(うまかいべ)たちのイレズミが施されたばかりで、血なまぐさく、これを嫌った「島に居ますイザナギの神」が、神職に憑り移って託宣を下しました。それ以来、イレズミが禁じられたそうですが、ここでイザナギは島に居る神とだけ記され、皇室にゆかりの深い神様という印象はありません。

また、紀・允恭天皇には、帝の淡路狩猟の際、イザナギと推定される島の神が祟り、託宣で「明石の海底にある真珠を採ってわれを祭れ」と告げ、海人ムサシが命がけで真珠を採る話があります。これを見ても、イザナギは単なる島の神様で、海人の真珠を欲しがる海のローカルな神様なのです。

ところが、古事記では、皇祖神アマテラスの親神とされ、大八洲を生み出した偉大な創造神になっているのです。淡路島しか創造しなかったであろうと思われる淡路島のローカルな神様の話しが、日本列島を生み出すまでスケールが拡大されたのは、政治的な配慮だろうと推定されています。

・・・淡路島が朝廷の狩猟地として、また天皇の食料を奉る国として重宝されていたのです。

イザナギ・イザナミの信仰圏

イザナギ・イザナミの信仰圏は、淡路島を中心に、徳島県、兵庫県、大阪府、奈良県、和歌山県と近畿地方に限定されています。

延喜式神名帳では、イザナギ・イザナミを祀る神社は、淡路島の本社以外に、大和(奈良)に2か所、摂津、伊勢、若狭にイザナギ神社、阿波にイザナミ神社がありました。二神の信仰圏は、近畿、四国東部、淡路島に限定されています。

イザナギ・イザナミへの崇拝は、船による公開が得意な淡路の野島海人や三島海人(淡路島には三原海人や野島海人と呼ばれる人々がいました。)により、周囲の海人に伝わり、これが近江や大和盆地にまで広まりました。

イザナギ神社は以下7社があります。

①② 大阪府吹田市、摂津国嶋下郡の式内社「伊射奈岐神社二座」

③ 淡路国津名郡の式内社、正式名称「淡路伊弉諾神社」、兵庫県淡路市・伊弉諾神宮の旧称

④ 奈良県天理市、大和国城上郡の式内社

➄ 奈良県葛城市

⑥ 大和国添下郡の式内社

⑦ 奈良県北葛城郡上牧町、大和国葛下郡の式内社

イザナミ神社は阿波美馬(ミツマ)郡にあります。イザナミ神社の近くには、アメノハシダテ神社、ミズハノメ神社、ハニヤマヒメ神社があり、国生みやイザナミ焼死によるミズハノメ、ハニヤマヒメ誕生と関係があると考えらています。

古事記では、イザナギ・イザナミは出雲で活躍しています。イザナギとイザナミの生死問答があった黄泉平坂(よもつひらさか)は、出雲の伊賦夜坂と言われ、これは八束郡東出雲町の揖屋坂と言われています。が、出雲風土記には、イザナギ・イザナミは登場せず、あまり関連が見られません。近畿地方と比較するとイザナギ・イザナミと出雲との結びつきが本来的な物ではなく、後世の政治的潤色によるものと推定されています。

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